私の親であり、
姉妹であり、
親友であり、
私のすべてだった奴。
小学生の頃。
嬉しい事があれば、真っ先にチロに報告した。チロはいつもいっしょになって喜んでくれた。
それから私は、いつも通りの顔をして、「ただいま」と家に入った。
辛い事があって泣きながら家に帰った時も、真っ先にチロを抱きしめた。チロは涙をペロペロと舐めて、私の顔をじっとみつめた。
それから私は、いつも通りの顔をして、「ただいま」と家に入った。
支えてくれたのも、守ってくれたのも、心から信頼しあえたのも、親ではなく、チロだった。
チロさえいてくれれば、私はいつもいつも幸せだった。
なのに、別れの日は突然やってきた。
私は看取ってやれなかった。チロは独りぼっちで死んだ。
ごめんなさい、ありがとう。ごめんなさい、ありがとう・・・・・
あの日からずっと、胸の奥で繰り返している。
出会えてよかった。本当に幸せだった。
ありがとう。ありがとう。・・・そして、ごめんなさい。
甘えるばかり、愛を受け取るばかりだった私なのに、これ以上ないくらい一心に私を愛してくれたチロ。
もう一度会いたい。会って謝りたい。
虹の橋のたもとで再開したら、ずっとずっと、いっしょにいようね。
お前は私を許してくれるかな。
おまけ
当時の駅前。
おまけ2
「一番好きな動物は?」と問われたら、迷いもなく「犬!」と答える。
私のネコ好きは後天性のものだけど、犬に関しては先天性だから。
母親曰く、「這い這いを始めるなり、犬を見ると寄って行った」と言う。
飼い犬だろうと野良犬だろうと関係なく、出会うと抱きついてしまう癖は、どうやら生まれつきのものらしい。
おかげでこの歳になるまで、呻られたり、吠え付かれたり、追っかけられたり、咬みつかれたりしたことは数知れず。
それでも「怖い」と思ったことは一度もなく、この歳になっても変わらず追い回している。
でもチロを最後に犬は飼っていない。
愛しすぎて、のめり込みすぎて、一心同体になってしまうのがわかっているから、躊躇して飼えずにいる。
ネコですら、強烈なペットロス症候群になってしまう私だ。
おそらく、犬との別れは受け入れらないだろう。
私の寿命と犬の寿命が一致するくらいになれば、人生の最後は犬とともに暮らしたいと思うけど。
もうそろそろいいなかなぁ、なんて。